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ハリルホジッチ監督の故郷

2018年のFIFA ロシアワールドカップに向けて、アジア最終予選に挑む日本代表、そして初戦のUAE戦で負けてからネガティブな報道が目立だち、その中でメディアやサポーターに激しく叩かれていたのが監督のハリルホジッチ。

今回はそのハリルホジッチの故郷であるボスニア・ヘルツェゴビナ(旧ユーゴスラビア)について。(2006年頃に就任していたオシム監督も同国出身)

ボスニア・ヘルツェゴビナと聞いても、あまりピンとこない人も多いかと思うが、その首都は誰もが一度は耳にしたことのある町、サラエボ。

第一次世界大戦の引き金となった「サラエボ事件」が起こった町。また、同国では1992〜1995年にかけて内戦が起こり、ハリル監督も自宅前で起きた銃撃戦に巻き込まれ重傷を負った。紛争の激戦地であったモスタルという町に私が訪れたのは2014年の秋。
有名な観光スポットであるドブロブニク(クロアチア共和国)から日帰りで行くこともできる。

モスタルは小高い山地に囲まれ、旧市街の中心を美しい川が流れている田舎町。(同国では5番目に大きな都市らしいが)
中世ヨーロッパにタイムスリップしたような旧市街は歩いているだけで楽しい。

しかし数多くの古い建物には今なお、散弾銃の跡が残ったまま。損傷が激しい廃墟も町中に残されており、突如崩れる可能性もあるという。

紛争の傷は癒えず、今もボシュニャク人(ムスリム人)・クロアチア人と見えない境界線で住み分けがされている。

我々観光客は自由にそれぞれの住むエリアに何も考えず行き来できるが、現地民は自分と異なる民族側の土地に行くことは、ほとんど無いらしい。
公共交通機関も民族によって乗り場が分かれている。
モスタルでも川を隔てて、東側がボシュニャク人。西側にクロアチア人が住んでいる。ボシュニャク人側にはモスクがあり、クロアチア人側には教会がある。

首都のサラエボや美しい町モスタルの中心地は(観光客によって)活気づいている。しかし他のヨーロッパ諸国と比較しても明らかに、この国に住む方々の表情はどこか悲しげで未だ紛争を引きずっている。闇を抱えているのが分かる。

ボスニア・ヘルツェゴビナは日本人にとって馴染みの無い国かもしれないが、ハリルジャパンを応援しつつ、彼の故郷のことを一人でも多くの方に知って欲しい。

紛争後、実は沢山の中古バスが日本から寄贈されたそうで泊まっていた宿のオーナーから感謝の言葉を頂いた。

何も知らなかった私は「ほんとに?」と恥ずかしながら聞き返した。


私たちが知らないだけで、ボスニア・ヘルツェゴビナには日本の中古バスが走り日本人に感謝しているそうです。



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